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最期の日

最期の日


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2018年7月7日 午後7時20分 77歳で父が逝去した。


ヘビースモーカーで肺気腫になっても煙草をやめられなかったことが原因で慢性膿胸になり、最期は肺炎をくり返した末に亡くなった。

膿胸の手術後、順調に回復してはいたけど、食が細くどんどん体力が衰えていった。

もともと好き嫌いの多い人で病院食はほとんど食べず、母はおかずを作り毎日のように病院へ通った。わたしも仕事が終わり次第病院へ向かう日々。

それでも少しずつ食べられなくなり、誤嚥性肺炎をおこし、何度も危機を迎え、それでも乗り越えてなんとかがんばっていた。

自発呼吸が厳しくなってきて気管切開し話せなくなった。

意識障害がたびたびおこるようになって。それでも時々はしっかりと反応してくれて。

長くはないとわかっていたけど、もう少し一緒にいられるかと思っていた。

父のことだから、また危機を乗り越えるだろうと。


そして、予期しなかった、最期の日。

仕事が急遽休みになったので早い時間から父の元へいけた。

状態はかなり悪く意識はほとんどなかったが、少しだけ反応してくれた。

熱が相当高く、胸からお腹あたりを触ると燃えるように暑くて、かなり苦しかったんだろう、何度も顔を歪めていた。

くちをパクパク動かし、指を動かし、何か言いたいようだったけどわからなくて。

いつになく何かを伝えたい様子だった。

看護師さんが体をふいてくれたので、家族で全身に保湿クリームを塗って、いつもだるいといっていた足をなでて。

父の舟や漁をしてる動画、父の趣味だった畑の写真を見せてみた。

虚ろな目だったけど少しだけ反応してくれた。

兄弟が仕事が早く終わったからくるというので、状態も少し落ち着いたし母の体調も良くないので家に戻るため車を走らせた。

あと少しで家、というところで病院から「急変」の連絡がきた。

家から病院は遠かった。間に合うとは思えなかった。

いざというとき、家族が来るまでの救命処置はしないでほしいと伝えていた。

かけつけた兄弟から電話。

父が亡くなった、と。

兄弟がかけつけた時はすでに意識はなかったがなんとか間に合って、看取ってくれた。

それだけが救い。

先生と看護師の話では、すうっと、ゆっくりと、脈が落ちていったそうだ。

最期は苦しまないで逝ってくれたんだと思う。


7月7日 七夕 77歳

彦星さまになっちゃったねえ、父さん。

頑張りすぎるほどに頑張ってくれたから、やっと苦しさから開放されてよかったなぁと思うけれど、やっぱりもう少しだけ一緒にいたかった。

まだ、一緒に生きていきたかったよ。


遺影は、わたしが5年前に撮った笑顔でギターを弾いてる姿。

田舎の父ちゃんらしく格好はどうでもいいんだけど、その姿がまた愛らしく。

弔問客がみんな口々に「良い写真だねえ!」と褒めてくれるし、遺影をみると癒されると母がいうのでホント良かったと思う。

ちなみに、棺には父の舟と漁の様子の写真をいれた。

納棺の時に親戚たちがみんな笑顔になって、これもよかった。

わたし、写真撮る人でよかったなぁ。


本当に色々とあったけど、やっぱり父は最愛の人でありました。


父さん、ほんとにお疲れさま。


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